亡き親友へ…

みなさまこんばんは。
りあなでございます…
さて本日はりあなからお兄さま方へ質問となります…
ずばり「ありがとう」という言葉を普段の日常生活でどれくらい周りの方に表現できていますでしょうか???
恐らくいつも顔を合わせていて距離感が近いお相手ほど、当たり前になっていたり照れくさかったり、改めて感謝の気持ちを伝えるのが難しかったりするのがこの「ありがとう」という言葉だと思います。
そこで本日は…
私の実体験を通して感じた「ありがとう」の大切さについてのお話をさせていただきたいと思います。
私はこの言葉を高校生のある出来事以来、必ず自分と関わった方々に対して伝えることを決めています。
というのも…
高校3年生だった今日つまり6月21日に私は大切な親友を亡くしたという経験が自分に与えられた教えだと考えているからです。
彼女は3年間私と同じテニス部に所属していて、主将を務めるなど部員全員から慕われ信頼されていた親友であり、この日もいつも通り自主練を終えて、コート上に落ちているテニスボールを拾っていた光景が今でも鮮明に記憶しています。
本来この日私は一緒にその親友とペアになり
ボール拾い当番であったのにも関わらず
授業後の補習に行かなければいけないというそんな理由から、「ごめん今日は一緒にできない!」と言い残し、その場を後にしました。
親友は「もうしょうがないなぁ!今度ツナマヨおにぎり奢ってよ!」と笑いながら答え、1人でボールを拾う彼女を後目に校舎に走りながら去ってしまった自分は今でも許されない事をしたと思っています。
しかしその日の未明に…
彼女は自らの意思で命を絶ってしまいました。後にその理由が「進路について悩んでいた」という理由を担任から聞かされるまで、私はその会話が親友との最期の会話となってしまうことなど思いもせず、何年経った今でも忘れることができない後悔があります。
もちろん長い時間を彼女と過ごしてきたにも関わらず、進路について1人で悩み苦しんでいたことにも気づいてあげることができなかったことにも悔しさを感じ、そして何よりもその最期となる会話の時に「ありがとう。」という一言が伝えられなかったことが自分を情けなく本当に悔やまれてなりません。
この経験以来、私は自分と関わる方や出会わせていただいた方には必ず「ありがとう(ありがとうございます)」という言葉をたくさんお伝えすることを大切にしています。
これまでご一緒させていただいたお兄さま方の多くから「ありがとうございますなどがしっかり言えるのは偉いね」というお言葉をいただきますが、その私の実践にご感動いただけたことはりあなは今も嬉しく感じております。
今日は…
毎年この6月21日に必ず親友のお墓参りをさせていただいているため、今年も彼女が大好きだったツナマヨおにぎりとお花を墓前にお供えしてきました。
静かに目を閉じて…
テニス部時代の友人たちの近況報告などをしつつ
「あの時はありがとう…」と伝えることしかできませんが、きっとこの想いが天国にいる彼女にも届いていることを願っています。
みなさまも今一度大切な方に対して「ありがとう」と声に出して伝えてみるのはいかがでしょうか?